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2008年3月17日 (月)

ヒアリング

鎌倉能舞台は平成20年度に日本財団助成事業に替わる学生能への支援を文化庁から頂ける事となり、そのヒアリングに文化庁に行って参りました。文化庁からの助成事業と言うのは初めて!なので、緊張しながら伺ってきました。ヒアリングそのものは特に問題もなく終わりましたのでホッとしましたが、その部署に行くまで受付を右往左往してしまい・・・ お役所だな~と感じたりしました。

その後、来年の2月に小山市の市制55周年記念に行う復曲能「小山安犬」の稽古のために小山に向かいました。前回同様市民の希望者の方々に地謡に参加していただくためのお稽古です。皆様熱心にお稽古されていますので、私も頑張ってお教えしなくては!

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コメント

昨年末にコメントを頂きながら気付かずに失礼いたしました。
この辺の時代背景は私も詳しくありませんが、仰るように地元領民の心証を配慮して鎌倉に引き渡したものでは無いでしょうか。

投稿: かんた | 2009年4月22日 (水) 20時44分

以下自己問答です。
14世紀末の当時でさえ、悪人の子だから問答無用で死罪にするという法は、我が国では一般的では無かったのでしょう。だから小山安犬を、たぶん今の、会津若松付近で捉えた、(恐らく)葦名の殿様の配下の役人も、処分は、室町時代の鎌倉府の判断に任せる事にしたのではと思います。自分自身が子供の時代から担ぎ上げられて、観応の擾乱からみの合戦に引き回されていた、足利氏満が相手で無かったなら、小山安犬は、もしかするとこの時代でも、助かったのかもしれませんね。

投稿: 長さん | 2009年4月15日 (水) 14時18分

題 小山安犬の歴史の謎
ふと思ったのですが、足利氏満は、小山宮犬丸
と久犬丸を、隠れていた会津若松(岩代の国
 黒川)で、殺さずに、なんでわざわざ、
鎌倉までつれていって海に沈めたのでしょうか?
能のストーリーでそのへんが示されているので
しょうか?
めんどくささからみると何んとなく不思議で
すね。

投稿: 長さん | 2008年12月16日 (火) 15時04分

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